俺の父は、今寝たきりだ。
いや、「今」ではなく、この先も立つことはできないだろう。
命のロウソクは確実に短くなっている。
か細い炎は、あとどれくらい燃えていられるのだろうか。
そう感じてしまうのはとても悲しい事だが、それはこの世に存在する全ての生命が辿る道。

ユーモアセンスに溢れ、50歳を過ぎても筋骨隆々だった父の今を見るのは辛い。
口から食べる事も出来ず、しゃべる事もできず、今かろうじてできるのはまばたきぐらいだ。
ただ、頭はしっかりしている。と、思う。
だったら、身体が動かなくても、脳をたっぷり動かして単調な毎日に少しでも楽しみを感じてもらおう。
父がよくカラオケで歌った曲が入ったCDや、懐かしい映画のサウンドトラックを何枚か買ってきた。
毎日聴いてもらっている。
それらを聴きたいと思っているかどうかは判らない。
少しでも思い出と共に楽しんでもらいたいという、息子の一方的なエゴかもしれない。
父との思い出・・・・
俺がこの世に生を受けてからの38年分の思い出が頭の中を駆け巡る。
そして今、こうした39年目の思い出を共に刻み込んでいる。
思い出・・・・
昨年実家に帰省した際に大量のアルバムと写真を見つけたのを思い出した。
若い頃の両親や、その後の家族の思い出といった約60年間の我が家の歴史がそこに残っていた。
これらを全部見せてあげれないか。
例えば、全ての写真をスキャナーで取り込んでフォトフレームを目の前に持っていきスライドショーを見せれば、身体を動かす事ができなくても記憶の中でのタイムトラベルならできる。
よし、やろう。
準備のために並べた写真は数千枚。
写真で埋まった部屋の床を前に、気が遠くなる作業だなと思ったが覚悟を決めた。
スキャナーと記録用SDカード、そしてフォトフレームを購入。
早速作業に取り掛かる。
2週間後、取り込み作業が終了した。
総計7899枚。
写真の物理的な重さも何10キロかあった。
これが一家族の60年分の歴史の重さなのかと感慨深かったが、その60年間はたった3cm弱の薄っぺらいSDカード3ギガに全て収まった。
それが新しい思い出の形なのか、これからの歴史の薄さなのかは分からない。
ただ、何かがとても寂しく感じた。
少し落ち着いたら、SDカードを持って父に会いに行く。
そのカードは数千円で購入した小さなカードだが、もはやそれは何億円出しても買う事のできない宝物が詰まったスペシャルカードだ。