数年前の話。
俺はシルバーのスポーツカーで東名高速をカッ飛ばしていた。
当時、大阪にも住居を構えていた小林さんの依頼で、Mr.Tと共に彼の愛車を運んでいたのだ。
都内を夕方前に出発し、受け渡しは22時を回る計算。
あまり遅くなるのも失礼だというプレッシャーはあった。
どこまで静岡なんだよ!とイラついたのも影響したのかもしれない。
急いでいて昼飯を抜いていたからかもしれない。
二人ともかなり空腹だった。
頑張ればあと2時間程で到着する予定だったが、どうしても我慢ができない。
腹が減っては戦はできないよね?
集中力が乱れて事故を起こしかねないよね?
そう自分に言い訳してサービスエリアにピットイン。
注文したカツ丼大盛りをあっという間に平らげ、俺達は芦屋に向かってラストスパートをかけた。
到着したのは予想通り22時前後。
「ごくろうさん。腹減ったろう?何か食べに行こう。俺も食べないで待ってたよ。」
長旅をねぎらいたかったのだろう。
小林さんは、俺達を行きつけのステーキ店に連れて行ってくれた。
「神戸牛を食べた事がない」と以前俺が話したのを覚えてくれていたのだ。
でも、
「すいません。ボク達お腹一杯でもう食べれません。ついさっきカツ丼大盛り食っちゃいました。」
食べずに待っててくれた人にこんな事とても言えない。
ご厚意に甘える事となった。
そこは著名人がお忍びで来てそうな高級ステーキ店。
なるべくクリアーできるように、一番小さいgでオーダーしようとすると、
「遠慮なんかしなくていいんだよ。若いんだから食え!」
小林さんはそう言って特上の一枚を頼んでくれた。
腹いっぱいだけど、なんとかなるだろうか・・・・
目の前に出された皿を見て絶句した。
それは、きめ細かな脂身の間に、申し訳ない程度に赤身がさしたトロトロのプルルン。
肉というより、脂の塊にしか見えなかった。
アメリカ生活でジューシーな赤身肉に慣れ親しんでいた俺は、脂身が苦手で、日本で言う最高級“霜降りステーキ”がこういうものだとは思ってもみなかった。
満腹に加えて脂身のフルコース。
小さく切ったスライスを恐る恐る口に運ぶと、なんとも言えない動物性の優しい脂がジュワーっと溶け、牛のDNAが一瞬にして頬の粘膜と一体化し、その余韻は体中の血液を巡る感覚に襲われた。
本来なら、絶対にこれ旨いと思うハズ。
小林さんに失礼にあたってはいけない!
心の中で何度もそう言い聞かせようとしたが、胃の中の作業員達は、
「おいおいおい!ケンカすんなら外でやれよ!」
と普段交わる事のない牛のエキスと先客のブタ君を一緒にのど元まで追い出そうとする。
俺、これ絶対最後まで食えない・・・・
そんな時、突然救世主



が舞い降りた。
横で同じくステーキを食べていたMr.Tが、おもむろに俺の皿の塊にフォークをぶっ刺し、パクッと平らげたのだ。
「なんやマイク、あんまり食うの遅いから、いらんのやろ?俺まだ腹減ってんねん。食ったったぁ。へへへ」
いや、それはウソだ。
彼もお腹一杯なハズ。
ギトギトの脂と格闘し、なんとも言えない表情で体内の作業員達と会話している俺に気付き、自然を装って助けてくれたのだ。
俺と同じく脂身を見たくもないあの状況で、誰も失礼にならないように機転をきかせて頑張ってくれたMr.T。
この事は一生忘れません。
その晩は小林さん宅に泊めてもらい、翌日帰京する際にお土産でくれたこの帽子。
プロ野球マスターリーグ・大阪ロマンズのキャップ。
デザインはどうであれ、この色が気に入ってたまに被って出かけるが、よくみんなに笑われてた。
「何大阪って!」
でも、もう誰にも笑わせない。
これは、小林さんからもらった大事な形見になった。
残念ながら昨日、小林繁さんが亡くなった。
日本球界において、記録はもとより記憶に残る事件の当事者だった。
細身の身体からムチのようにしなるサイドスローで2度の沢村賞も受けた。
享年57歳。
若すぎる。
心よりご冥福をお祈りいたします。